NEWS

パルクールの歴史-1

2021/04/05

シャルル・ペリエールFIGパルクール委員長(中央左)とヤマカシのキャスト
(『Yamakasi』アリエル・ゼトゥン&ジュリアン・セリ監督, 2001年)

 

パルクールの歴史をFIGウェブサイトの記事から2回に分けてご紹介します

 

Parkour : Looking back on three decades of development
(パルクール : 発展の30年を振り返る)

1998年にパリ南部のリスとエブリーで育ったダヴィッド・ベル (David Belle) とシャルル・ペリエール (Charles Perriere) は、「ヤマカシ」(Yamakasi) というグループのメンバーでした。既存の伝統的なスポーツに不満を持っていた運動神経の発達した10代の若者たちが、新しいものを創りました。

FIG委員会の委員長であるシャルル・ペリエール、ダヴィッド・ベル、そしてその友人達は、新しい鍛錬としてパルクールを始め、そして数年の研究と努力の末、コミュニティとメディアからの評価を得ました。

パリで消防士として働いていた元兵士であり軍事教官であったベルの父レイモンドは、彼らの哲学の根幹に強い影響を与えました。動きのスタイルとオブスタクルス(障害物)を克服することに焦点を当てることは、彼らの想像力と相まって出来上がったものです。

パルクールは当初から、運動であると同時に人生哲学でもありました。ペリエールは、この鍛錬の目的を「生きていく上での困難に対処するために心と体を育てるもの」と説明しています。そしてさらにこのスポーツを通して、尊敬、謙虚さ、厳格さ、勇気などの普遍的な価値観が養われます。

 

・Taking on the world (世界に挑戦)

慎しい起源からパルクールは世界中に広がり進化してきました。 第一世代の実践者は創造と刺激を続け ―― 今ではグローバルコミュニティからの転向者が加わっています。「私たちは賢くもなく、ヒーローでもありません」とベルは言います。「私たちはこの分野での経験があり、それを人々に提供し、注意深くあるように伝えます」。

パルクールを広めることは、最初からペリエールの情熱でした。 映画『タクシー2』、『ヤマカシ』、『アルティメット13』で高く評価されている映画監督のリュック・ベッソンとのコラボレーションにより、1990年代初頭にパルクールはさらに多くの人々の目に触れることになりました。 ペリエールはまた、2005年に独自のトレーニングプログラムと施設を提供する「Culture Parkour」を立ち上げました。

パルクールは、公共の場でのパフォーマンスや映画の公開に加えて、『アサシンクリード・シリーズ』などのビデオゲームを通じて、世界中の多くの人々に広まりました。 ダヴィッド・ベルは、『アサシンクリード』のトライアルに最初に招待されたときのことを覚えています。「これは、リミットなく、妨げられることなく、画面の中を自分の動きたい通りに自由に移動できるキャラクターです」と。

その自由は、今日も、ゲーマーとトレーサー(パルクール実践者)の両方に刺激を与え続けています。